【出雲民話#003】須佐之男命からの試練-4 大国主神の命名
すぐに追いかけようとした須佐之男命(すさのをのみこと)ですが、髪を柱に結びつけられていたので、それをやっと解き、必死に逃げる葦原色許男命(あしはらしこおのみこと)と須勢理毘売(すせりびめ)を黄泉比良坂まで追いかけてきました。
だが、「ここまでだ。」と思った須佐之男命は葦原色許男命に、「生太刀、生弓矢で八十神を倒すように。」と、そして「「大国主神(おおくにぬしのかみ)」と「宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)」の二つの名前を授け、勢理毘売を妻とし、宇迦山(現在は御崎山、別名宇賀山)のふもとに神殿を立てて暮らせ。」と告げたのでした。
こうして、大穴牟遅神(おおなむじのかみ)は、葦原色許男命、宇都志国玉神と名前を変えられました。
葦原色許男命は、須佐之男命の数々の試練を耐えただけでなく、須勢理毘売を妻として迎えることとなり、さらに地上での王としての強い力を授かったのでした。